私の夫は自殺をしました。
1週間の行方不明ののち、某所で遺体が見つかりました。警察から連絡が入ったときには一瞬で意識が飛びました。周りの人間は泣き叫びましたが、私は体外離脱したような感覚で肉体が別のもののように感じました。感情が消えてなくなる、というのでしょうか。涙すら出ませんでした。
葬儀は夫側の親戚でもある、とある住職のお寺で執り行われました。自殺するまで異変に気付かなかった私に対しての非難はひどく、それこそ孤立無援でした。そりゃ異変に気付かない私が悪いですよ。でも今どきの40代夫婦なんて別々の寝室で寝ているし、距離感なんてそんなものです。ちなみに私側の親戚には嫌な思いをさせたくなかったので、一人も呼びませんでした。
通夜と告別式では、「意識して意識を飛ばす」ようにしていました。まともな感覚では精神がやられてしまいそうだったからです。
通夜は月末の金曜日に行われ、夫の会社から来られた方々は、残業もそこそこにご参列くださいました。「月末の金曜日なんてピンポイントで一番忙しいのに。なんて迷惑をかけているのだろう。」となぜかそのことが一番気がかりで、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
そしてもちろん、死因が死因だけに、やはりみなさんなんとも言いようのない居心地の悪さを感じていたようです。申し訳ないやら情けないやらで、喪主としてまともに行動することもできませんでした。
葬儀中、遺体にはスーツを着装しましょう、という提案を業者さんからいただき、一番品のあるオーダーメイドのスーツとフェラガモのネクタイを持参しました。着装させると「お、悪くない」と思っていたのですが、いざ本番、Yシャツのタグが見えるのです。誰が見てもわかる廉価帯のものが。もうどうしようもなく恥ずかしくて、でも棺に入っているから修正がきかない。そんなことにそわそわしている自分の人間性を疑いましたね。外面だけよくして中身が安っぽい私をよく表していました。遺体からのメッセージでしょう。自殺した理由を無言で伝えてくれました。
夫が自殺したことより、当時の葬儀のことの方が苦く情けない体験として脳に刻まれています。
私には幸か不幸か子供がいないので、肉体が滅んだら葬儀をせず、火葬だけしてもらうつもりです。
兄弟や甥姪には面倒をかけたくないので、民間に委託しようと思います。自分で処理できたら一番いいのですけれどね。